BUMP OF CHICKEN「涙のふるさと」

涙の出所を探すうたですね。
藤君はまた自分探しのうたを作ったんだ、でもそれは決してリスナーに強制しないように聞こえるのは
たぶん、重ねられる語尾の「〜なんだね」っていう言葉と
「会いにきたよ」のメロの優しい感じのせいかな?


歌詞だけで解釈するには難点もあって
例えば
「逃げてきたぶんだけ 距離があるのさ」
これは逃げるというより、「忘れる」感覚のほうが近い気がする。
涙を流す出来事があっても
その理由を考えるのは、涙が込み上げた瞬間
五感を使って刺激された出来事が原因って考える。
でも、この「涙のふるさと」は
それは『自分』という人間が形成されるヒストリーのなかに
涙の琴線が刻まれているんだ、っていうでしょ。

みんなそこから逃げてるんじゃなく、忘れちゃうんだよ。
だって、日常いつもその傷と向き合っていたら、こころが折れてしまうよ。
悲しみは、薄れていかなきゃ耐えられないし
受けた痛みも癒えていかなきゃ、ひとを信じられなくなる。
だから「忘れる」という、長い時間を介して
無意識下で進行する記憶が絶対的に必要なんだと、わたしは思います。
そして、それは
「逃げ」ではないと。

ちなみに、涙って擬人化されると男のコなんだねー
昔「なーみだくん、さよなら さよーならなーみだくん」ってうたがあったよ。
この楽曲に込められた優しさを感じるから、
ただ
「会いにきたよ」ってフレーズに惹かれるたくさんのリスナーがいて、
それでいい、と思うや。
なんでもかんでも、芯を突くのが正しいわけでもない。